下端駅は三つの顔を持っている。下端五差路近くの乗鶴山裾野の住宅街が一つ目の顔、平地のネオンがまぶしい歓楽街が二つ目の顔、そして渡り鳥の飛来地が三つ目の顔だ。下端駅まで来て、時間があれば乙淑島生態公園へ行くと渡り鳥が舞い降りる島がある。生態公園で自転車に乗って、長く曲がりくねった草原をゆっくり走るのも特別な思い出になるだろう。1人用から4人用まで自転車を借りることができる。自転車に乗れない人は4人用の自転車に乗ってもいい。ひさしに覆われた日陰の下で公園の緑豊かな森と池、体験用に造成された湿地を体験できる。
公園を出てバスに乗って多大浦に向かう。45番、338番、11番、96番の4つのバス路線がある。大宇アパート前のバス停で降りると、誰かに尋ねなくても海がどこにあるのかわかる。大漁船が行き交う広々とした海が見える多大浦は、いつでも異邦人を歓迎するビーチがある。大勢で行く海水浴場というより一人のほうがふさわしい海だ。多大浦は孤独な人を惹きつける何かがある。恋人との別れや事業の失敗、落第したとき、することがないとき、多大浦ビーチに行けば、この世にここよりわびしさを感じるところはない。さわやかなビールではなく焼酎が似合う海。
海雲台と広安里の海は毎年波によって砂が流され、海開き前にはいつもショベルカーで砂を運び入れる。だが、多大浦は祝福を受けた地のように砂が多い。海の向こうは日本、朝鮮半島の先端に位置する。粒子が細かい砂はここまで来る間に波にもまれて軽くなり、釜山で一番きれいな砂だ。多大浦で生まれ育った人は見慣れているだろうが、部外者にとっては新鮮だ。他のビーチで失われた砂がすべてここに集まってきたのか、年々砂幅が広がっている。砂漠のようなきれいな砂浜を海に向かって歩いていると、何がなんでも波が届くところまで行くぞ、という気になる。あまりにも広くて大きいので、時折馬に乗って海岸を走る人に出会うこともある。運が良ければ夕日が沈む海を背景に、ひづめに白い泡をつけて走る馬の姿を近くで見られる。
多大浦の海は行けば行くほど浅瀬だ。水が胸まで届きそうな位置でも、堆積した砂の島に上がるようになる。突然深くなる場所もない遠浅の海だ。干満の差が大きく、夕暮れどきの満ち潮は、慌てて後ずさりするほど。海岸の左端にジグザグの遊歩道がある。狭い通路を譲り合いながら歩くと、遊びに来ていた近くの工団で働く東南アジアの人々に出会い目礼した。「サワディカ(こんにちは)」と両手を合わせてタイ語で声をかけると、彼らは明るく笑う。彼らのほとんどは素敵な笑顔になれる唇の持ち主だ。
ビーチ左端の線の標識に沿って行くとハイキングコースがある。没雲台に上がる道だ。海に立ち込める霧のせいで視界がよくないことからこの名がついた。釜山最高の夕陽を撮りたいなら没雲台だ。鬱蒼とした森の間にある土道を歩き、軽く汗を流して森林浴をする。道のあちこちに水飲み場がある。以前は軍事保護地域だったので出入が制限されていた。たとえ許可が出ても身分証明書の確認が必要で、それも数人が入れる程度だった。そのおかげで森林が自然のまま保存されている。森の中で食事ができるテーブルやベンチがあちこちにあるので、ピクニックもいい。サンドウィッチと飲み物を買ったなら、気にせずここに座って食べよう。
海水浴場向かいの長い木の階段を登ると、峨眉山展望台に出る。視界が大きく開け、砂浜は色々な姿を見せる。海を見下ろす。海全体が赤く染まっている。カメラを取り出して写真を何枚か撮る。風景の中に自分の顔を入れるアングルも見つけたが、恥ずかしくてやめた。撮った写真をSNSで送りたい人のリストから探す。この美しさを共感してくれる人を探して写真を送る。写真を受け取った人はぜったい「きれい。どこ?」と尋ねるはずだから、「没雲台」と三文字だけ送信すればいい。一人で海に来ても、やっぱり一人になれない。