南浦駅で降りて太宗台に行く道は、釜山のどの旅のコースと比べても、全く印象が異なるほど特別な場所がいくつもある。それは影島に通じる道だからだ。朝鮮時代、この島には国が管理する馬場があった。影島で育てた馬は影も途絶えるほど足が速いと言われたことから'絶影島'と呼ばれた。日本統治時代には日本人が牧場を経営していたこともある。その後、朝鮮戦争のときに影島は避難民の集落になった。本土と影島大橋が結ばれていたので、島といっても活発な街で、四方を海に囲まれていてもスプーン一つもない避難民たちでも影島で食料を入手することができた。また、船が盛んに往来するので、船に乗って訪れる人々も大勢いた。同じ島暮らしをする済州島の人が影島には結構多い。
午前中に影島大橋を通って影島に行く道はまぶしい。出航する漁船が汽笛を鳴らしながら橋の下を通り過ぎ、カモメの群れがあちこちで水面をかすめるように飛び回り、太陽に照らされた水面は宝石のように輝く。潮風が吹く中を進んで影島に到達。韓国人は冗談で影島のことを'ヨンアイランド'とも呼ぶ。
影島に入るとすぐに蓬莱市場と大きな伝統市場が見えてくる。影島に車が走っていない時代からあった市場だ。本土から食料品を運んできた行商人たちが島の入口に集まるようになり、いつしか大きな市場に変わった。ここは昔の影島の商業の中心地だった。今はアーケードも設置されで便利に買い物ができる。市場近くのサムジンオムク体験歴史館では、'釜山おでん'と呼ばれる揚げかまぼこの歴史を知ることができる。サムジンオムクは、釜山で一番古い揚げかまぼこの製造会社で、初代社長が日本でかまぼこの作り方を学び、蓬莱市場入口の掘立小屋で売ったのが始まりと言われる。体験歴史館では揚げたてのかまぼこを味わえ、ガラス越しに製造過程を見学することもできる。
ここからはバス。影島内はバスで移動したほうが便利。蓬莱市場の前から66番のバスに乗って国際クルーズターミナルで下車すれば国立海洋博物館に着く。全国から海洋に関する資料がここに集められ、近くの海洋大学も海洋関連の専攻科目が多い。釜山は今も海洋産業中心なので、国立博物館がここにあるのもうなずける。博物館は子供の体験学習コースにもよく使われるが、単なる教育の場以上の優れた施設だ。
博物館から30分ほど離れたところに太宗台があり、海雲台と並ぶ釜山を代表する景勝地。太宗台の中でもっとも風光明媚な断崖は、自殺岩という不名誉な場所にもなっている。朝鮮戦争のとき、避難民は家族がバラバラになりながらも、死のうが生きようが釜山まで逃れてこなければならなかった。どこで再会できるのかわからないので、他地域の人は互いに知っている地名を伝え合った。太宗台は新羅の太宗武烈王も訪れたとされる有名な場所だったので、バラバラになったときは太宗台で会おう、影島橋で会おうと約束した。無事に太宗台に到着しても、いつ来るのかわからない家族を待ち続けるしかない。一日が過ぎ、一月が過ぎ、数年過ぎても来ない家族を生きていると信じるのは難しいことだ。ひたすら待っていた避難民たちは、絶望して太宗台の一番高い岩の上から身を投げた。海に飛び込んで命を捨てるのは簡単なことだろうか。崖から身を投げる心情にさせる分断の悲劇は、人々の絆を断ち切ってしまった。
太宗台入口の観覧列車に乗れば、4kmにもおよぶ周遊道路を手軽に巡ることができ、週末や休暇シーズンは大勢の人が訪れる。太宗台は奇岩怪石や崖など様々な見所がある。天気のよい日には海の向こうに対馬島が見える。ある意味釜山の果てとなる太宗台で、過去の縁を捨てて新しい出会いを求めてやって来る人々も少なくない。
太宗台のすぐそばに甘池海岸がある。砂利の浜が長く続くここは、焼き貝やアナゴなど海の幸を味わえる店がずらりと並ぶ。波の音を聴きながらお酒を楽しめる。太宗台を回って行くより、中里バス停で下車して散策路を歩いて甘池海岸に行くのがおすすめ。影島は太宗台以外どこも人がそれほど多くないのでのんびりでき、中里から甘池海岸へ行く道は穏やかな景色が続く。
甘池海岸からバスで南浦洞まで戻り、旅の仕上げに富平市場の夜店に立ち寄るのもいい。夜店のためにわざわざ市場を開放しているので夜でも明るい。ここでシッケ(韓国式甘酒)を飲ながら、影島の観光地を振り返ってみよう